悲劇の奥羽越(おううえつ)列藩同盟…幕末期に東北の諸藩はなぜ団結したのか?:2ページ目
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世良修蔵の暗殺と同盟結成
しかしその密書には、会津藩や庄内藩だけでなく奥羽の藩は皆敵であると記されており、それを知った仙台藩士の怒りを買います。世良は暗殺されました。
このことがきっかけで、1868年5月、薩摩・長州軍に対抗するべく、31藩による奥羽越列藩同盟が結成されます。
31藩というのは東北と北越を治める諸藩の合計で、奥州(陸奥国)の「奥」、羽州(出羽国)の「羽」、越州(越後国)の「越」の字を取って「奥羽越」となりました。
奥羽越列藩同盟は各地で激しい戦闘を繰り広げました。庄内・秋田の戦線では庄内藩が薩摩・長州軍と戦い、新潟では長岡藩と米沢藩が、白川口では主に会津藩が奮闘します。
しかし激戦むなしく、ほぼすべての戦闘で奥羽越列藩同盟は敗北します。1868年9月、同盟の中心だった仙台藩と会津藩も降伏し、奥羽越列藩同盟はわずか4か月で消滅しました。
参考資料
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