古来、日本で行われていた婚姻儀礼「三日夜餅(みかよのもちい)」とは?現代との関係まで解説:2ページ目
「三日夜餅の儀」
で、一夜を共にした後に後朝の歌(きぬぎぬのうた)を贈り、さらに3日間続けて女性のところに通います。3日通うと「これからはあなたを棄てません」という誓いとなります。一夜限りの関係では単なる浮気とみなされるのです。
自由恋愛が当たり前の現代から見ると、とてもやってられないですね。
そして、正式に婚姻が成立するのが、3日目に行われる露顕の儀と三日夜餅の儀が済んでからです。ここでやっと「三日夜餅」が登場します。
三日夜の餅の儀は、3日目の朝に三日夜餅という祝餅でもって催される祝宴のことです。この宴は現代のように両家そろうわけではなく、花嫁の両親と一族にお披露目するというものでした。
この時、三日夜餅を花婿と花嫁が食べると婚姻成立です。お餅は初めは白一色でしたが、次第に紅白のお餅が使われるようになりました。
婚姻で餅を食べていた理由は、もともと餅には神聖な霊力があると信じられていたからです。餅は、正月などのハレの日にも欠かせない縁起物でした。
よって、餅を食べることで男女の心身の一部が交換されて混ざり合い、子孫繁栄につながると考えられていたのでしょう。
ちなみに三日夜餅は、食いちぎらずに3つ食べるのが作法でした。『落窪物語』によると、男性は作法にのっとって食べているのに対し、女性の食べる数は「男のお気持ちしだい」と言っていて、特に決まっていなかったようです。
現代も続く伝統
3つ食べるのが作法だったと書きましたが、3という数字は、男性が女性のもとに通った3日間を意味します。食いちぎらないのは「離婚をしないように」というおまじないでしょう。
いずれにしても、3日目にお餅を食べる事は当時の人々にとっては重大な意味を持っていました。『源氏物語』の主人公・光源氏と紫の上が結婚した際も三日夜餅が出てきます。
平安時代こうした習わしは、鎌倉時代に三三九度の盃(さかずき)に姿を変えますが、現代でも一般の結婚式で行われています。
皇室行事でもこの伝統は残っており、昭和34年4月10日の上皇・上皇后両陛下のご婚礼の際も三日夜餅の儀が執り行われました。
参考資料