意外と合理的なのでは?鎌倉時代の裁判制度「三問三答」システムについて紹介:2ページ目
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さて、論人がきちんと陳状を提出したら、今度はそれを訴人に渡して書類のキャッチボールが一巡(一問一答)、これを3ターン繰り返したので三問三答と言いました。
果たして三問三答のやりとりが終わると、引付衆は初めて両者を問注所へ呼び出して最終的な意見を交わさせます。
この時、ついカッとなって相手を罵倒したり、手足が出たりした者は罰せられました。
一、惡口咎事
……問注之時吐惡口、則可被付論所於敵人……※「御成敗式目(貞永式目)」第12条より
【意訳】訴訟において暴言を吐いた者は、ただちに相手方の勝訴とする。
それまで書状のやりとりを通して互いの意見を整理し、またいくらか時間をおいているため、(比較的)冷静かつ理論的な話し合いができたはずです。
審議の結果は引付衆から評定衆(ひょうじょうしゅう。宿老による合議)へ上げられ、執権と連署(れんしょ。副執権)を交えた合議の結果、最終的な判決が下されました。
この判決状を関東下知状(かんとうげちじょう)と呼びます。鎌倉殿の意思として勝訴者へ発給され、法的な効力を発するのでした。
終わりに
以上、ごくざっくりと鎌倉時代の訴訟制度について紹介してきました。
いきなり当事者同士が顔を合わせて感情のまま訴え散らすのではなく、互いの主張を文章に整理していく三問三答システム。
ちょっと書類のやりとり(問注所の発行してくれた書類は、基本的に自分で先方へ届けに行く)が面倒そうですが、それだけの手間をかけてもより公平・公正な裁判が望まれたことがわかりますね。
※参考文献:
- 石井進ら『中世政治社会思想 上』岩波書店、2016年11月
- 細川重男『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』朝日新書、2022年8月
- 『日本史大事典4 す~て』平凡社、1993年8月
- 『日本史大事典6 へ~わ』平凡社、1994年2月
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