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従属から寝返りへ…井伊直弼亡き後の井伊家&彦根藩の生き残り戦略としての面従腹背

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鳥羽・伏見の戦いで…

その後、幕府による長州征討が失敗し、一橋慶喜が徳川慶喜として第15代将軍の座に就きます。

そして朝廷に政権を返す大政奉還が行われ、その流れで鳥羽・伏見の戦いが起こります。

会津藩や桑名藩など、新政府に従わない旧幕府軍は続々と京都へ向かいました。しかし、それまで幕府に大人しく従っていた彦根藩はここで裏切り、新政府軍に就きます。

実際には戦闘には至らなかったものの、彦根藩は積極的に桑名藩討伐を申し出たり、新撰組の近藤勇を捕縛したりするなど、しっかりと功績を挙げています。

この甲斐あって、彦根藩および井伊家は明治時代以降も討伐されませんでした。

そしてどうなったかというと、現在に至るまで彦根藩や井伊家は、中央大学や専修大学の創設者や彦根市長など、各界で活躍する人材を輩出し続けています。

鳥羽・伏見の戦いでの寝返りは幕府に対する「裏切り」であったものの、結果的に時局を読んだ正しい選択だったと言えるでしょう。

 

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