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最上義光の死後あっという間に取り潰された最上一族!後継争いで紛糾した「最上騒動」とは?

最上義光の死後あっという間に取り潰された最上一族!後継争いで紛糾した「最上騒動」とは?:2ページ目

長男を殺害

最上義光は商業の振興を重視し、山形城の築城や城下町の整備などに力を入れました。治水を重視したり、職人町という町を作って各ジャンルの職人を職種ごとに分けるという効率化を図ったりしています。

そのためか、現在の山形市には「銅町」「鉄砲町」などの地名が今も残っています。

そんな山形藩ですが、最上一族の最盛期はここまでで、跡継ぎ問題が発生します。

本来なら嫡子(長男)である義康が継ぐはずでしたが、義光は次男の家親に家督を継がせようとします。家親は徳川家康に気に入られているから、というのが理由でした。

これが原因で親子間の対立が勃発し、ついに義光は義康を殺害します。

実はこの殺害は、義光と義康それぞれに仕えていた家臣が、最上氏を転覆させるために仕向けたものでした。その後、企みがばれたため主犯の家臣一族は処刑されています。

こうして結局、2代目藩主は次男である家親が継いだのですが、その後も「最上騒動」は終わりませんでした。

3ページ目 2代目の不審死、3代目で改易

 

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