武将・楠木正成はこうして「軍神」に!奇策が炸裂しまくりの千早城の戦い【前編】
「軍神」挙兵す
日本史上、屈指の英傑であり伝説の軍神とされる楠木正成(くすのきまさしげ)。
幕末の志士たちも惚れた!強者・楠木正成のアツ過ぎる一生[その壱]
2018年の1月15日に放送された「Qさま!(テレビ朝日)」で、坂本龍馬が「日本を今一度せんたくいたし候」と述べたことについて、ある武将が紹介されました。龍馬よりも前に日本をせんたくした武将…それが、…
彼の伝説のひとつである「千早城の戦い」について見てみましょう。
時は鎌倉時代末期、「元寇」を何とか撃退した幕府でしたが、御家人たちに分け与える土地が得られなかった事から、恩賞が十分にもらえなかった御家人たちは幕府に不満を持つようになりました。
後醍醐天皇は、これを幕府から朝廷に政治の中心を取り戻す好機と見て倒幕計画を画策します。
しかし、密告により陰謀が発覚し、計画の首謀者として側近の日野俊基が処刑されてしまいます。
身の危険を感じた後醍醐天皇は京を脱出し3千の軍勢で笠置山に立てこもります。
これに対して、幕府軍は鎌倉から20万の大軍を送り込んで総攻撃。さすがに持ちこたえられず、捕えられた後醍醐天皇は隠岐島へ配流となりました。
この倒幕計画は失敗に終わったと思われましたが、これに呼応して挙兵する者が現れます。楠木正成もそのうちの一人でした。
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