チンドン屋って知ってる?江戸時代に始まり今も再評価が進む貴重な商業文化:3ページ目
戦後は下火に、令和でまた脚光を浴びる
戦時中は大っぴらに宣伝もできず、1941年には各種大道芸とあわせて禁止されてしまったチンドン屋ですが、戦後の経済成長にあわせて、商店や映画の宣伝に使えるということで、再びチンドン屋方式の宣伝が脚光を浴びるようになります。
数人だった楽隊は10人を超え、ブラスバンドを編成したものも登場。最盛期には、全国で2500人ものチンドン屋が活躍していたと言われています。
やや余談めきますが、藤子不二雄の漫画を読んでいると、ときどき当たり前のようにチンドン屋が登場しますね。子供向けの漫画に唐突に登場しても違和感がないくらい、当時はごく一般的な存在だったのかも知れません。
とはいえ、昭和後期になると一般家庭にテレビが普及し、さらに電光掲示板や電柱広告など多種多様な屋外広告が登場したことで、チンドン屋は激減していきます。
しかし反対に、その後は貴重な商業文化として見直されるようになりました。現在はチンドン屋の全体数は減ったものの、文化継承を目的としながら、多くのチンドン屋が全国の街頭宣伝やお祭り、イベントなどで活躍しています。
最近は、むしろ昭和のチンドン屋を知らない若い人が、かえってそのスタイルを新鮮に感じているようです。