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愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【前編】

愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【前編】:2ページ目

あわや合戦勃発!?一本の矢から大喧嘩

未尅。若宮大路下々馬橋邊騒動。是三浦一族与小山之輩有喧嘩。兩方縁者馳集成群之故也。前武州太令驚給。即遣佐渡前司基綱。平左衛門尉盛綱等。令宥給之間。靜謐云々。事起。爲若狹前司泰村。能登守光村。四郎式部大夫家村以下兄弟親類。於下々馬橋西頬好色家。有酒宴乱舞會。結城大藏權少輔朝廣。小山五郎左衛門尉長村。長沼左衛門尉時宗以下一門。於同東頬又催此興遊。于時上野十郎朝村〔朝廣舎弟〕起彼座。爲遠笠懸向由比浦之處。先於門前射追出犬。其箭誤而入于三浦會所簾中。朝村令雜色男乞此箭。家村不可出与之由骨張。依之及過言云々。件兩家有其好。日來互無異心。今日確執。天魔入其性歟云々。

※『吾妻鏡』仁治2年(1241年)11月29日条

時は仁治2年(1241年)11月29日、その事件は起こりました。

お昼過ぎ(未の刻、14:00ごろ)に若宮大路は下馬橋の西側にある遊郭で、三浦泰村・三浦光村・三浦家村ら兄弟親類が集まってドンチャン騒ぎ(酒宴乱舞)をしています。

一方、反対の東側では結城朝広(ゆうき ともひろ。大蔵権少輔、結城朝光の嫡男)・小山長村(おやま ながむら。五郎左衛門尉、小山朝政の孫)・長沼時宗(ながぬま ときむね。左衛門尉、小山朝政の甥)・結城朝村(ともむら。上野十郎。朝広の異母弟)らがいい感じに楽しみ、いい感じに酔っぱらっていました。イヤな予感しかしませんね。

「おうみんな。浜へ出て遠笠懸(とおかさがけ。遠距離射的)でもしようぜ」

「いいねぇ……ウィック」

上野十郎(こうずけ じゅうろう)がそう言うと、小山一族ご一行様はノロノロと席を立ちます。すると、若宮大路を挟んで対面に一匹の犬がいました。

「よぅし、景気づけにあれを射止めようぜ」

言うが早いか十郎は弓を引き絞って矢を射放ちます。犬を見たらとりあえず射ようとする発想がアレ過ぎますが、とかく鎌倉武士たちはこんなノリで生きていたようです。

しかし酔っ払っていたせいか手元が狂い、矢が遊郭の中へ飛んで行ってしまいます。そして三浦兄弟がドンチャカしているところへ突き立ちました。

「あ、いけね」

十郎は雑色(ぞうしき。召使い)に命じて矢を回収に向かわせますが、そこにいたのは満面を憤怒に染めた家村。矢を返す訳がありません。何なら手さえ出ていたでしょう。

「てめぇ、我らを三浦兄弟と知っての狼藉か!」

「いやぁごめんごめん。悪気はなかったんだ……つ(言)ってンだろ!」

「ごめんで済んだら侍所は要らんのじゃ!」

「ほうけ、だったらどうしてくれようかい」

「表ぇ出ろ我れぁ!」

「上等じゃ!おぅ、すぐに頭(アタマ=人数)集めろぃ!」

さぁ始まりました三浦と小山、両一族のにらみ合い。それぞれ家人郎党を掻き集め、今にも合戦が始まりかねない勢いです。やがて次から次から軍勢が集結し、さながら坂東の南北頂上決戦(※)の様相を呈してきました。

(※)三浦一族は相模=神奈川県、小山一族は下野=栃木県を本拠地としています。

「……あンのバカども、何をしておるんじゃ!」

急報を聞いた執権・北条泰時(ほうじょう やすとき)の驚くまいことか、ただちに側近の後藤基綱(ごとう もとつな。佐渡前司)と平盛綱(たいらの もりつな。左衛門尉)を派遣して食い止めさせます。

「うぬら、何をしておるか!散れ!」

「散らねば将軍家への謀叛と見なし……てめぇらまとめてブッ殺したらぁ!」

その剣幕を前に恐れをなした訳では決してないものの、なるべく事を構えたくない両党は渋々兵を引き上げ、何とか鎌倉炎上は避けられたのでした。

ちなみに、三浦と小山の一族は日ごろ互いに仲良しで、この日はどうしてこんなことになってしまったのか分からなかったと言います。きっと魔が差しでもしたのでしょう。

さっきまで笑って酒を酌み交わしていたのに、しょうもないことでカッとなって親友を斬り殺す。鎌倉武士というのは、とかくそんなノリで生きていたのでした。

【後編へ続く】

※参考文献:

  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
  • 細川重男『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』朝日新書、2022年8月
  • 中塚栄次郎『寛政重脩諸家譜 第三輯』國民圖書、1923年2月
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』霞会館、1996年11月
 

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