戦地に駆り出された少年たち!白虎隊が自刃し悲劇の最期を迎えるまで【後編】:2ページ目
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最後の生き残り
生き残った少年の名は飯沼貞吉。彼は喉元を脇差で刺したものの死に切れず、苦しんでいたところを会津藩士・印出新蔵の妻ハツによって発見されて、長岡藩の軍医の手当てによって一命を取り留めます。
彼はのちに通信技師となり全国各地に赴任し、日清戦争にも従軍するなどして日本の電信事業に貢献し、昭和6(1931)年に77歳で亡くなります。
貞吉は自分だけが生き残ったことを恥と思っていたようで、生涯を通して白虎隊のことを語らなかったそうです。
しかし彼が生き残ったことで、白虎隊の悲劇は後世まで伝わっていくことになりました。
その遺髪は、本人の遺言により、飯盛山にある同志たちの墓のそばに埋められています。そして、今でも白虎隊士の墓には多くの人が訪れています。
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