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公開実験の後に24歳で服毒自殺…明治時代、特殊能力に翻弄された女性の悲しき人生

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公開実験

1910(明治43)年9月11日、東京帝国大学文科大学の福来助教授は千鶴子の公開透視実験を敢行。立会人には、物理学者の山川健次郎や大勢のマスコミを招待した大規模な実験となっています。

実験に用いられたのは、はんだ付けされた封筒を入れた鉛の箱。中には20枚の手紙が同封されており、箱や封筒を開けることなく手紙の内容を透視して書き写すという実験でした。

千鶴子は誰も入れない別室に入って透視を行っています。普段よりも透視に時間がかかったものの、紙に書かれた「盗丸射」という文字を当てました。
この実験がキッカケとなり、日本では千里眼や超能力ブームが到来したと言います。

千里眼事件

立会人の見えない別室で透視したことを指摘する声があったものの、千鶴子の透視実験は成功したとして報道されました。

しかし、しばらくして封筒に同封された紙のなかに「盗丸射と書かれたものはない」という話が浮上したのです。そこで、透視実験で使用された箱や紙が確認されたのですが、すでに分からない状態。結局、公開実験で実際に使われるはずだった紙ではなく、別の実験で使用された「盗丸射」と書かれた紙が使用されていたことが分かったのです。

真相は藪の中

怪しすぎる状況に巷では、「千鶴子の透視はトリックだ」という噂が広まりました。

強いバッシングを受けた千鶴子は「自分が箱をすり替えた」とトリックを認め、騒動が止まないうちに「いえ、なにも申し上げることはありません」と言い残して自殺しています。

しかし、それまでに言い当てた数多くの事例もあるため、千鶴子の透視が本当にトリックだったのかどうか。真相は藪の中です。

 

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