「虚無僧」って何者?時代劇のイメージはどこまで正しい?その由来や消えていった理由を探る:2ページ目
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受け継がれる奏法
普化宗は宗派としては消滅しますが、京都の善恵院に明暗(みょうあん)教会、和歌山の興国寺に普化教会、京都の妙光寺に法燈(ほうとう)教会などが設立され、教会として存続することになります。
虚無僧も物乞いの手段の一つになったりして、だんだんとその姿を消していきました。しかしその尺八の音楽や技術は現代にも残っています。
博多に一朝軒(いっちょうけん)という寺があります。現在に残る数少ない虚無僧寺の一つで、まだ普化宗の活動が盛んだった寛永年間のころに博多にやってきた明暗寺の僧によって開かれました。
ここには「一朝軒伝法竹」という尺八の音曲が伝わっています。一朝軒が明暗寺の流れを汲んでいることから明暗流とも呼ばれます。
明治時代に普化宗が廃止された際、この一朝軒も大きな影響を受けました。しかし虚無僧の尺八の奏法は大切に受け継がれていたのです。
現在一朝軒では、60曲以上の音曲を会得することで免許皆伝を受けることができます。
参考資料
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