紫式部さん、和泉式部や清少納言をボロクソに!『紫式部日記』から垣間見える文通エピソード【光る君へ】:2ページ目
遠慮の欠片もない清少納言へのコメント
一方、ライバルとされる清少納言(せい しょうなごん)に対してはもうボロッカス。遠慮の欠片もありません。
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。
※『紫式部日記』より
清少納言……あンの偉ッそうな知ったかぶり女!いっちょまえに漢文なんか書いて見せびらかしてるくせに、よく見りゃ誤字脱字に文法ミスばっか。個性を出したいんだか、いい女ぶりたいんだか知らないけど、かえってボロが出て恥をさらすばかり。そんな事にも気づかないバカ女は、きっとロクな末路をたどらないでしょうよ!
……もう行間どころか紙一面にべったりと塗ったくられた悪意の海。何がどうしてそこまで嫌えるのか、凄まじいですね。
(一説には職場でいじめられたとか、主君同士がライバル関係だから……などと言われるものの、清少納言は紫式部が出仕する数年前に退職しています。もしかしたら、けっこう自由気ままに生きていた彼女への嫉妬≒憧れの裏返しなのかも知れませんね)
終わりに
でも、ここまでハッキリしているとむしろ潔いというか、和泉式部に対する評価のようないやらしさはありません。
どうせ悪意を向けられるなら、真綿に針を仕込まれるより、真っ向から刀を突きつけられた方がまだ身も処しやすいというもの。
皆さんは、どっちがいいですか?(そもそも心の底から仲良しでいたい、というのが本音でしょうが……)
※参考文献:
- 石井文夫ら訳・校註『新編日本古典文学全集26 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』小学館、1994年9月