「鎌倉殿の13人」いよいよ始まる!?三つ巴の後継者争い…第29回放送「ままならぬ玉」予習:3ページ目
頼家、鎌倉の第2代征夷大将軍に
京都使者參。去月廿二日左金吾敍從二位。補征夷大将軍給之由申之。
※『吾妻鏡』建仁2年(1202年)8月2日条
【意訳】京都より使者が参り、7月22日付で頼家が従二位の位階を与えられ、征夷大将軍に補任された旨が伝えられた。
鎌倉殿の跡目を継いでから4年目、ついに頼家が征夷大将軍に補任されました。補任とは文字通り「補うために任じる」つまり臨時職への任命を意味します。
鎌倉殿としての在任期間と、征夷大将軍としての在任期間は必ずしも一致しないのですね。これをもって「鎌倉幕府の成立は、征夷大将軍への補任を根拠としない(≒建久3・1192年ではない)」と主張する向きもあると言います。
しかし鎌倉以降の室町・江戸幕府も征夷大将軍をもって「武家の棟梁」たる証しと位置づけており、武家政権(幕府)の構成する上で欠くべからざる一要素であると言えるでしょう。
それはさておき、晴れて源氏ひいては武家の棟梁として名を備えた頼家。しかし御家人たちとの確執は変わらず、苦境が続きます。
もはや頼家に愛想を尽かしていたからこそ、比企派と北条派の後継者争いが収まらなかったとも見られそうです。
知康、古井戸に落ちる
そんな中、『吾妻鏡』より、ちょっと面白い?(と言ったら可哀想ですが……)エピソードを見つけたのでご紹介。
雪降。積地七寸。將軍家爲覽鷹塲。令出山内庄給。入夜還御之處。知康候御共。而於龜谷邊。乘馬驚騒。沛艾之間。忽以落入舊井。然而存命。依之入御御所之後。賜小袖二十領於知康。
※『吾妻鏡』建仁2年(1202年)12月19日条
当日は雪が七寸(約21センチ)も積もったとか。そんな中、頼家は鷹狩り場の下見で山内荘へ出かけました。よっぽど鷹狩りが好きだったのですね。
ちなみに山内荘とは現代の鎌倉市山ノ内(だいたい北鎌倉駅周辺)から横浜市栄区・戸塚区一帯に広がる荘園です。
夜になって鎌倉へ帰ってくる道中、お供していた平知康(演:矢柴俊博)の馬がいきなり暴れ出し、亀谷(かめがやつ。現:鎌倉市亀ガ谷)の辺りにあった古井戸へ転落してしまいます。
「おーい、大丈夫か?」
頼家たちが確認すると、幸い命に別条はありませんでした。でも、雪が21センチも積もる真冬のことですから、さぞかし凍えたことでしょう。
「ぶえっくしょい!」
やれやれ可哀想に……頼家は御所に帰ると、知康へ着替えと見舞いを兼ねて12着の小袖を与えたということです。
終わりに
宿老たちの抑えが弱まり、誰も止めない頼家の暴走。早くも愛想を尽かしつつある御家人たちは、次世代の鎌倉殿を担ごうと蠢き始めました。
果たして次の鎌倉殿は一幡か善哉か、それとも千幡か……次週も手に汗握る展開、三谷幸喜の脚本に注目ですね。
※参考文献:
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 続・完全読本』産経新聞出版、2022年5月