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女性に異常行動、外国に対する横暴…日本書紀上NO.1の暴君!武烈天皇のヤバすぎエピソード【後編】

女性に異常行動、外国に対する横暴…日本書紀上NO.1の暴君!武烈天皇のヤバすぎエピソード【後編】:2ページ目

女性への異常行動

「八年の春三月に、女をひたはだかにして、平板の上に坐ゑ、馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。女の不浄を観るときに、湿へる者は殺し、湿はざる者は没めて官やつことし、此を以ちて楽としたまふ」。

内容は「女を裸にして平板の上に座らせ、馬を引き出して、面前で交尾を見させた。女たちの性器を調べ、潤っているもの(すなわち愛液が分泌されている者)は殺し、潤っていない者は、奴隷として召し上げた。これが楽しみであった」

という事です。これが楽しみであったという事は一度ならず何度もそうした行為を行っていた可能性があります。

変わらぬまま亡くなる

また、そのころ、

「池を掘り庭園を作って、鳥獣をたくさん飼った。そして、狩りを好んで、犬を走らせ馬と競争させた。出廷や退廷の時間もまちまちで、大風が吹こうと激しい雨が降ろうとお構いなしだった。贅沢にあけくれ、百姓が寒さに凍えることを意に介さず、美食をして天下の飢えを顧みなかった。さかんに小人や俳優に淫靡(いんび)な音楽を奏させ、奇怪な遊びごとを設けて、淫らな音楽を好き放題におこなった。昼夜をわかたずいつも宮人と酒に酔いしれ、錦繡(にしきぬいもの)を席としていた。綾と白絹を着ている者が多かった。」

という記述が残っています。

しかしその武烈天皇八年、まだ十八才であったにも関わらず、突如として武烈天皇は亡くなります。日本書紀上最も残虐な天皇に、いったい何があったのでしょうか。そもそもどこまでが真実なのでしょうか……。

疑問は深まるばかりです。

 

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