実は子だくさん!汚れ役もいとわない愚直すぎる武将・梶原景時の息子たち・後編【鎌倉殿の13人】:3ページ目
エピローグ
翌1月21日。梶原一族33名の首級が路傍にさらされ、1月23日に戦闘の詳細が明らかにされます。
【梶原一族を滅ぼした者たち】
- 廬原小次郎:梶原景国(六郎)と梶原景則(八郎)を討ち取る
- 飯田五郎家義(の郎党):景茂の郎党2名を討ち取る
- 吉香小次郎:梶原景茂(三郎)を討ち取る
- 渋河次郎(の郎党):景時の家子4名を討ち取る
- 矢部平次:梶原景季(源太)・梶原景高(平次)・狩野兵衛尉の3名を討ち取る
- 矢部小次郎:梶原景時を討ち取る
- 船越三郎:家子1名を討ち取る
- 大内小次郎:郎党1名を討ち取る
- 工藤八郎(の郎党・工藤六郎):梶原景連(九郎)を討ち取る
※『吾妻鏡』正治2年(1200年)1月23日条より意訳。
『吾妻鏡』では七郎景宗を誰が討ち取ったのか記録がなく、もしかしたら誰が討ち取ったのか揉めたのかも知れません。
この中で武功一等と称されたのは吉香小次郎。景時はかねてより「上洛に際して、駿河国内一番の勇士である吉香小次郎の家さえ通過できれば、後はもう大丈夫」と語っていたとか。
景時の懸念が死亡フラグになったのか、あえなく梶原一族は滅亡してしまったのでした。
終わりに
かくして頼家を支えるために結成された「鎌倉殿の13人」は、頼朝の死後1年ばかりで早くも崩壊が始まります。
この後に三浦義澄(演:佐藤B作)や安達盛長(演:野添義弘)が相次いで病死。バランサーを失ったためか、血で血を洗う政治抗争が本格化していくのでした。
物語も後半に差しかかって、今から景季以外の息子たちが(名前の出る形で)登場することはないと思います。しかし彼らの存在も知っておくことで、大河ドラマの鑑賞もよりいっそう楽しめることでしょう。
【完】
※参考文献:
- 石井進『日本の歴史 7 鎌倉幕府』中公文庫、2004年11月
- 石井進 編著『別冊歴史読本 鎌倉と北条氏』新人物往来社、1999年9月
- 本郷和人『新・中世王権論 武門の覇者の系譜』新人物往来社、2004年11月