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日本の政治家もテロ・暗殺の危険と隣り合わせ!?いま紐解く暗黒の近代史【戦後編】

日本の政治家もテロ・暗殺の危険と隣り合わせ!?いま紐解く暗黒の近代史【戦後編】:2ページ目

暴漢、銃撃、爆発物の90年代

また1959(昭和34)年3月8日には、後に首相となる自民党の宮沢喜一衆院議員がホテルニューオータニで暴漢に襲われています。

ただ、この時宮沢は30分も格闘し、上あごに軽い後遺症が残った程度で脱出することができたとか。実は宮沢喜一は格闘術の心得がある人で、こうしたエピソードがもとで格闘マンガの題材にもされています。

さて平成の時代になると、まず1989(平成元)年5月12日、当時の社会党の書記長だった山口鶴男が大津市内で右翼に襲われ負傷するという事件が起こります。

また1990(平成2)年1月には、長崎市の本島等市長が「天皇に関する発言が許せない」という理由から右翼に短銃で撃たれて重傷。同年2月には、浜田幸一衆院議員が暴力団員に金属棒で殴られ負傷しています。

この年はこうした事件が多く、同年10月には、自民党の丹羽兵助衆院議員が、陸上自衛隊守山駐屯地の記念式典に出席していた際、暴漢に首を刺されて12日後の11月2日に亡くなっています。

またまだあります。1992(平成4)年3月20日には、自民党の金丸信副総裁が、栃木県足利市で右翼団体構成員に発砲されました。金丸は無事で済んで事なきを得ましたが、犯人は「北朝鮮への外交姿勢などが許せなかった」などと主張したとか。

1994(平成6)年5月には、前首相の細川護熙が新宿のホテルで元右翼の男に銃撃されており、これも無事で済んでいます。翌年3月には、当時の国松孝次警察庁長官が銃撃されて負傷し、また5月には青島幸男東京都知事に爆発物が送り付けられ、都職員が負傷しています。

新世紀もなくならないテロ

ここからは21世紀になります。2002(平成14)年10月25日には、民主党の石井紘基衆院議員が、世田谷区の自宅駐車場で、自称右翼団体の人物によって刺殺されました。

2006(平成18)年8月15日には、元自民党幹事長の加藤紘一が、右翼団体の男から実家を全焼させられています。

そして、2007(平成19)年4月17日には、当時の伊藤一長長崎市長が、長崎駅前で暴力団員によって射殺されました。

このように歴史を紐解いていくと、戦前から戦後にかけて、日本も政治テロとは決して無関係ではなかったことが分かります。

さらに、もっと範囲を広げてテロ行為全般を見ていけば、むしろ戦後の方が、一般市民を無差別に狙う悪質で広範囲にわたるテロ事件が多いことが分かるでしょう。

日本が、世界の国々の中でも治安がよく、安全な部類に入る国なのは間違いありません。しかし、ときどき凶悪な犯罪やテロが発生するのも事実で、これは安全で自由だからこそ、時折防犯体制の甘さが露呈するということなのでしょう。

 

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