奇襲ではなく最適解だった!?「桶狭間の戦い」で織田信長が採用した王道の戦略:2ページ目
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兵法にかなった戦略
相手は休息中で油断しているとはいえ、その軍勢は2万を超えています。信長の軍勢はその時およそ2千。
しかし信長はその戦力差にひるむことなく、孫子の兵法書に「難知如陰(知りがたきこと陰の如く)」とあるように相手の位置を把握しつつもこちらの姿は見せないように慎重に行動し、「侵掠如火(侵掠すること火の如く)」「動如雷震(動くこと雷の震うが如く)」を体現するように一気に攻勢をかけました。
その時、突然強い雨が降り始め、悪天候で視界が悪くなります。
姿が見えず、全貌を把握できない敵に襲われて今川軍は混乱し、そして義元は信長の配下である毛利新助によって討ち取られてしまいました。
こうして圧倒的な兵力差と言われた桶狭間の戦いは、信長の勝利に終わりました。
このように、有名な桶狭間の戦いも、つぶさに見ていくと孫氏の兵法という古典的な戦略に基づいて行われたことが分かります。
信長がこれを意識していたかどうかは分かりませんが、実は「王道」の戦略だったんですね。
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