本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【前編】
時は天正10年(1582年)6月2日。京都・本能寺に滞在していた織田信長(おだ のぶなが)が、重臣の明智光秀(あけち みつひで)に襲撃され、命を落としてしまいました。いわゆる「本能寺の変」です。
戦国乱世を駆け抜けた偉大なる英雄の退場。あまりにもあっけない死に衝撃を受けた人々は、この謀叛は光秀の単独犯行でなく、光秀を陰で操る「黒幕」がいたと提唱します。
では、信長を歴史から抹殺した「黒幕」とはいったい誰なのでしょうか。
日ごろ一番の忠義ヅラをしていた羽柴秀吉(はしば ひでよし)か。
それとも愚直に寄り添っていた盟友の徳川家康(とくがわ いえやす)か。
あるいは京都を追われ、室町幕府の復活を企む足利義昭(あしかが よしあき)か。
もしかしたら、武家から権威を取り戻したかった朝廷のご意向か。
中には日本やアジア征服を企んでいたというイエズス会が……なんて説まで。
放っておいたら「宇宙人説」とか「フリーメイソン説」とか出て来そうですが、そもそも本能寺の変には黒幕なんかいなかったんじゃないでしょうか。
今回は各種の黒幕説に共通する特徴と共に、じゃあ光秀はなぜ「本能寺の変」を起こしたのか、その動機を紹介したいと思います。