どこまでも鬼畜!実は赤子ともども静御前まで殺そうとしていた源頼朝&梶原景時【鎌倉殿の13人】:2ページ目
あら恐し、それ聞け景時……
「……そなたが静か。九郎の子を宿しておると聞いたが?」
果たして鎌倉へと連行された静御前は、頼朝に訊問されました。静御前はそうだと答えると、頼朝は景時に言います。
「何と恐ろしい、聞いたか平三。謀叛人の子が世に出る前に、この女の腹をかっ捌き、子を取り出してしまえ!」
【原文】あら恐し、それ聞け景時。既にえせ者の種をつかぬ先に、静が胎内を開けさせて、子を取りて亡へ
※『義経記』巻第六「静鎌倉へ下る事」より
「あら恐し」ってあなた、「妊婦の腹を掻っ捌いて胎児を取り出せ」なんて発言の方がよほど恐ろしいというもの。
さすがにちょっと待って欲しい……静と磯禅師が泣いて命乞いをしたところ、ちょっとグロ過ぎるとでも思ったか、頼朝は子供が生まれるまで待ってやることに。
果たして男児を出産すると、郎党の安達新三郎清経(あだち しんざぶろうきよつね)がこれを奪い取って由比ヶ浜へ捨てに行きます。
磯禅師と掘親家が探し回ったところ、稲瀬川の近くに捨てられているのを発見。既に息を引き取っていました。
静御前は我が子の亡骸と再会を果たすと、親家の計らいで勝長寿院の東側に埋葬します。
「もうこんなところに、一日でもいたくない!」
そりゃそうですよね。もう義経の男児も死んだし、すっかり自供もしたのだし、用はないはず。悲嘆にくれる静は、一刻も早く鎌倉を立ち去ろうとするのでした。