謎すぎる?!織田家 唯一の生き残り、信長の次男「織田信雄」の首を傾げるエピソード:2ページ目
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弔い合戦から逃げて行った謎行為
秀吉が信長の仇を討っている頃、信雄はなんと、信長の城であった「安土城を燃やしていた」のです。この時の火事で安土城は全焼しなかったものの、一部消失しています。
信雄が放火した理由については解明されていませんが、宣教師であるルイス・フロイスは「信雄が放火した」と記録していました。
それから信雄は、庶民から「無能の人」と噂されるようになったそうです。
清洲会議
本能寺の変から1ヶ月後、信長の後継者を決めるための清州会議が行われます。次男の信雄は有力な後継者候補だったはずですが、後継者に決まったのは信忠の子、3歳の三法師でした。
そのため清洲会議後からは、信孝を後継者にしたかった柴田勝家と三法師を後継者にしたかった羽柴秀吉が対立します。
勝家陣営の動きに危機感を感じた羽柴秀吉は、清洲会議での約束を破り、信雄を担ぎ上げて当主にしました。
こうして当主になれた信雄でしたが、権力を掌握する目的だった秀吉により、すぐに安土城を追い出されてしまいます。
徳川家康にも利用されかけるも謎行動で回避
安土城を追い出された信雄は激怒し、羽柴秀吉との関係が悪化。
織田信長の後継者になる機会を狙っていた徳川家康に言いくるめられ、「打倒・羽柴秀吉」を掲げ戦うことになるのです。
この戦いを「小牧・長久手の戦い」と言います。
状況はイーブンだったと言われていますが、信雄はなぜか徳川家康に内緒で勝手に降参。
険悪だったはずの羽柴秀吉と講和条約を結び、その後は忠実な家臣として仕えたのです。
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