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愛娘を喪った悲しみ…カタブツ平安貴族・藤原実資が「かぐや姫」と呼んで愛した藤原千古。その名の理由は?

愛娘を喪った悲しみ…カタブツ平安貴族・藤原実資が「かぐや姫」と呼んで愛した藤原千古。その名の理由は?

月に帰ったかぐや姫

その後も熱心な子宝祈願の末、正暦4年(993年)2月に授かった女児まで亡くしてしまった実資。

千古が誕生した寛弘8年(1011年)ごろには50歳を過ぎており、よく「歳をとってからの子供はより可愛い」と言う通り、他のどの子よりも可愛がりました。

実資には千古のほかにも良円(りょうえん。出家)や養子たちがいたものの、財産のほとんどをこの愛娘に相続させるよう宣言します。

「道俗子等一切不可口入(どうぞくこどもいっさいくちいれすべからず)!」

これは実資の処分状(しょぶんじょう。財産の処分=遺産相続について記した遺言状)の一節。

我が遺産のほぼ全てを、可愛い千古に相続する……出家した者(道)もそうでない者(俗)も、私の決定に異論は認めない!断固たる決意から、実資の溺愛ぶりが偲ばれます。

ところで、千古を「かぐや姫」と呼んだのはなぜでしょうか。

彼女の輝くような美しさ(※実資の主観or願望)はもちろんのこと、『竹取物語』では月に帰ってしまう彼女を惜しみ、引きとどめたい必死な思いを込めたものと考えられます。

愛しい娘よ、どうか父より先に逝かないでおくれ……たとえ政略結婚の駒であっても、やはり我が子は可愛い親心。

その後、道長らの妨害によって入内工作に失敗した千古は、道長の孫である藤原兼頼(かねより)に嫁ぎますが、長暦2年(1038年)ごろに若くして亡くなってしまいます。

「あぁ、姫が月へ帰られてしまった……」

失意の実資も永承元年(1046年)1月18日に90歳で亡くなり、その荘園や財産は道長らに吸収されたのでした。

終わりに

以上、藤原実資の親バカっぷりを紹介してきましたが、それは悲しい背景があってのこと。

実資「か~ぐや姫ちゃ~ん!」

千古「その呼び方もう止めてよ、恥ずかしいったらありゃしない!」

あのカタブツで知られる実資が、娘の前ではデレデレだったなんて……何だか親近感が湧いて来ますよね。ね?

※参考文献:

  • 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
  • 角田文衛 監修『平安時代史事典』角川書店、1994年4月
  • 松薗斉『日記の家 中世国家の記録組織』吉川弘文館、1997年7月
 

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