武将は首級で競い合う!?戦国時代、徳川家康に仕えて武功を競い合った松平康安&山田正勝のエピソード:2ページ目
遠目坂の合戦にて
さて、次はどうでしょうか。
時は天正8年(1580年)8月、遠目坂で武田軍と戦った時のこと。今回も善四郎と平一郎は先駆けを争っていると、敵の猛将・朝比奈彦右衛門眞直(あさひな ひこゑもんさねなお)が兵をまとめていました。
彦右衛門は二人の接近に気づき、兵の損耗を避けようと有利な場所まで後退しようと考えていたようです。
「あやつらは、そなたたちで敵う相手ではない。匹夫の勇に逸って無駄死にするでないぞ」
山中での機動力を確保するため、馬に乗って来なかった二人。このままでは逃げられてしまいます。
「おい、善四郎」
「何じゃ」
「わしがヤツの注意を引きつけるから、お主が背後から討ち取れ」
二人がかりで、しかも不意討ちなんて……と思うかも知れませんが、ここは戦さ場ですから、勝つことこそ肝要というもの。
「相分かった」
さっそく平一郎は前から、善四郎は背後から彦右衛門を挟み撃ちに。
「喰らえ!」
善四郎が繰り出した渾身の一撃は、わずかに逸れて彦右衛門が背中に差していた旗指物を切り落とします。
「あっ、逃げるな卑怯者!」
どの口が吐(ぬ)かすか……体勢を立て直した彦右衛門は駿馬を駆ってたちまち窮地を脱出。二人は必死に追いすがるも、ついに取り逃がしてしまいました。
「お主の失点じゃぞ」
「……面目ない」
逃がした魚は大きく、今回の合戦ではこれ以上のチャンスには恵まれなかったようです。
「康安山田正勝とともに足軽となりて先をかけければ、武田がた朝比奈彦右衛門眞直これを見て、歩卒をうたせじとひきまとゐ山にそひて退く。眞直はきこふる勇士にして而も駿馬に乗りしかば、正勝と相はかり、正勝前をさへぎり、康安うしろよりかゝりて眞直が指物をきりおとす。然れども馬つよく主剛なるゆへ、遂にのがれさる」
※『寛政重修諸家譜』巻第二十六より