死亡率100パーセント!日本史上唯一の玉砕戦法「捨て奸(すてがまり)」とは!?:2ページ目
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島津義弘と忠臣たち
ところで、「捨て奸」は兵士たちの覚悟も注目に値します。
島津隊では、漫画『ドリフターズ』でおなじみの島津豊久や家老の長寿院盛淳など、多くの武将が犠牲になりました。
敵兵を食い止める役割を負わされた兵士たちは、相当の覚悟が必要だったでしょう。この戦法は玉砕戦術、トカゲの尻尾切りと言われても仕方がない内容でした。
しかし島津隊には、100%の確率で死ぬと分かっているのに自ら犠牲になった者が多かったそうです。
その一人である長寿院盛淳は、島津家の家老の一人。彼は義弘の影武者となり、「我こそは島津義弘である!」と大声で名乗って敵前に突入していったとか。
兵士たちがそこまでして義弘を守ろうとしたのは、義弘の人柄ゆえでもありました。
義弘は家臣に公平に接し、兵卒への気配りも忘れないとなど常に人を大切にする人で、とても慕われていたそうです。
その後、義弘の死後には、13名もの家臣が殉死したとか。
「捨て奸」での、「死んでも義弘を守る」という兵士たちの覚悟は、義弘の人柄と、普段から築き上げてきた信頼関係があったからこそだったのでしょう。
こうして「捨て奸」は別名「島津の退き口(のきぐち)」として伝説のように語られています。
言うまでもありませんが、この「捨て奸」「島津の退き口」「座禅陣」という戦法を採用したのは、日本史上、後にも先にもこの関ヶ原の戦いの島津義弘のみです。玉砕や特攻が「戦法」として採用されるのは、基本的にありえないこと、あってはならないことだと言えるでしょう。
ちなみに、あまり問題にされることがないですが、「捨て奸」という言葉の意味はよく分かっていません。もともと「奸」は当て字で、「捨てがまり」という言葉自体が独特の方言ではないかと言われているようです。
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