祓うから飾るへ。お祓いの呪物から嫁入り道具へ変化した「ひな人形」に秘められた歴史:2ページ目
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祓うものから飾るものへ
お祓いから飾るものへと変化したのは江戸時代。この頃になると、職人によって精巧で美しいひな人形が作られるようになります。
人々はその人形を川に流すことなく、家の中で大切に飾ることが多くなりました。そして現在のようなひな壇の形に変化します。
そもそもひな壇は、平安貴族の婚礼の様子を表していると考えられています。上段には新郎新婦である男雛と女雛が飾られ、そのお世話をする官女、護衛の随身、五人囃子、嫁入り道具などが並びます。
現在のひな人形は平安朝の宮中装束を着ていることが多いですが、これも江戸時代に定着したと言われています。平安時代の男性の正装は束帯といい、袍という上着を着て冠をかぶり、その手には笏を持ちます。女性は十二単、おすべらかしの髪の毛に、檜扇という扇を手に持っています。
当時婚礼は夜に行われるものだったので、雛段飾りにも雪洞(ぼんぼり)の灯りが灯っています。
ひな人形の中でも豪奢なものは嫁入り道具のひとつとして持たされることがあり、その家のステータスを量るものとして見られることもありました。こうして人形の装いはより豪華に、ひな壇の段数もどんどん増えていくことになります。
さらに江戸時代には大衆化が進み、昭和には天皇陛下のありようなども影響して、今の形に定着していきました。
なお、「ひな壇の一番上の2人はアマテラスとスサノオである」という、古事記に由来する説もあるようですが、明確な証拠はありません。
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