なんというゲス行為!それとも功徳?平安時代、貴族たちが庶民たちに行った「とりばみ」とは:2ページ目
では、食べ残したたくさんの料理をどうするのか……そこで「とりばみ」が行われます。
「方々、もうすっかり召し上がられましたな。されば『とりばみ』といたしましょう……よし、入れよ!」
主人の合図とともに、庭先へわらわらと庶民たちが入ってきました。みんなお腹を空かせているようです。
「そーれ!」
すると客人たちは、自分の食べ残した料理を箸でつまんで庭先へ放り投げます。庶民たちは放り投げられた食べ物に殺到、奪い合うように頬張るのでした。
「俺のだ!」「よこせ!」「こっちに下せぇ!」
「ほれほれ。左様に争わずとも、まだまだおじゃるぞ。あそーれ!」
客人たちは食べ残しをあっちへ放り、こっちへ放り……庶民たちがそれを追い駆ける様子を見て楽しんだとか。
現代人で喩えるなら鯉の池に餌を放り、鯉たち(ときどき亀とか鳥も)があっちへ群がり、こっちへ群がる様子を楽しむような感覚でしょうか。
それを人間同士でやるなんて……私たちの感覚ではちょっと理解しがたいものの、当時の価値観ではこれを施餓鬼(せがき。飢えた民への施し)の一種ととらえたようです。
終わりに
「ほっほっほ……まるで鳥が餌を啄(ついば)んでおるようじゃ」
庶民たちにとっては地面に落ちた食べ物を「とってはむ」から執喫(執咋・取食)であり、貴族たちにとってはそんな庶民たちが「鳥が餌をついばむ」ように見えるから鳥喰……という事情のようです。
「とりばみ」の漢字表記
庶民にとって:食べ物を「とってはむ」から執喫・執咋・取食
貴族にとって:そんな庶民たちの様子が「鳥のついばみ」に見えるから鳥喰
現代の私たちが鳥たちを人間より格下の存在と思っているように、平安貴族たちにとっては、庶民は自分と同じ人間とは思っていなかったのかも知れません。
「富める者が貧しき者へ施して、いったい何が悪うおじゃるか?」
何が悪いと言えば「渡し方」が悪いのですが、そもそもやんごとなき貴族が汚らわしい貧民に直接手渡しするなど言語道断。
自らの手を汚すことなく、貧民に施すことで功徳を積める。だから貴族はますます尊くあれる……それが身分社会というものだったようです。
※参考文献:
- 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月