2つの「同一人物説」もあるほど。人生も作品も謎だらけの天才歌人・柿本人麻呂の足跡:3ページ目
謎だらけの歌
しかし、やがて人麻呂は都に戻ることになりました。彼も、年齢的にもう二度と依羅娘子とは会えないだろうと覚悟していたのか、こんな辞世の歌を残しています。
「鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ」
(鴨山の岩根を枕にして死のうとしているわたくしを、それとは知らずに、妻はわたくしの帰りを待っていることであろうか。)
依羅娘子も、時が経ち人麻呂の死を知って、次のように詠っています。
「直の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲ばむ」
(直にお逢いすることはもはやできないでしょう。石川に雲よ立ち渡れ、その雲を見ながら、あなたをお偲びしましょう。)
お互いの熱い想いが伝わってきますね。
しかし、これが人麻呂に関する3つ目の謎なのですが、彼がどこで亡くなったのかは不明なのです。
歌のとおり「鴨山」で亡くなったのか? だとしたら「鴨山」は石見国にあるのか? さらに、依羅娘子の歌で詠まれている「石川」はどこなのか?
柿本人麻呂の人生は、最後の最後まで謎に包まれています。
逆に、こうした謎めいた部分が多いからこそ、人麻呂の歌もより一層魅力的になっているのかも知れません。
参考資料