鬼平以上に恐ろしい?江戸時代、火付盗賊改方として活躍した横田松房の拷問:2ページ目
石抱きに一手間かけて……泣く子も黙る「横田棒」
「手ぬるい!もっと厳しく責め上げよ!」
囚人の自白を促すため、拷問にもより苦痛を与えられるよう創意工夫を凝らしたと言いますが、その一つとして威力を発揮したのが「横田棒(よこたぼう)」。
「それは?」
「これを膝の裏に入れて、石を抱かせれば……フフフ」
ご存じ石抱き(別名:石責め、算盤責め)とは洗濯板状の板に囚人を正座させ、その膝上に重石を乗せて脛を痛めつける拷問。
その正座している膝の裏に棒を入れることで、囚人の脛だけでなく太腿にも苦痛を与えられるというスグレモノ?です。
「ヒえぇ……」
果たして横田棒が導入されたことにより、石抱きの苦痛はみごとに激増。囚人は震え上がったと言いますが、過ぎたるは猶及ばざるが如しとはよく言ったもので、苦痛に耐えかねた囚人の死亡が相次いでしまいます。
「拷問は自白を引き出すのが目的であって、殺してしまっては意味がないわい」
という訳で間もなく横田棒の使用は禁止され、平常モードでの石抱きが再開されたという事です(それでも十分過ぎるほどの苦痛ですが)。
エピローグ
しかしそれでも拷問の激しさは変わらず、毎年夏になると囚人たちの傷口が膿んで蛆も湧いてきます。苦痛の余り垂れ流された汚物なども、想像を絶するものだったことでしょう。
かくして拷問場を兼ねていた源太郎の屋敷からは異臭がただよい、近隣の者たちはそろって屋敷の配置換えを希望したのでした。
明けて天明5年(1785年)、作事奉行に昇進して火付盗賊改方をお役御免となった源太郎でしたが、どうも凶悪犯を取り締まっていた頃の癖が抜けず、殺伐とした言動が目に余ったため、天明7年(1787年)には新番頭に左遷されてしまいます。
そして寛政12年(1800年)1月8日、57歳で世を去ったのですが、あの世では少しでも安らかに過ごして欲しいものですね。
※参考文献:
- 高橋義夫『火付盗賊改 鬼と呼ばれた江戸の「特別捜査官」』中公新書、2019年2月
- 丹野顯『江戸の名奉行 43人の実録列伝』文春文庫、2012年12月