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名君と呼ばれた江戸時代の大名「保科正之(ほしなまさゆき)」の行った政治と出生にまつわるエピソード

名君と呼ばれた江戸時代の大名「保科正之(ほしなまさゆき)」の行った政治と出生にまつわるエピソード:2ページ目

保科正之の母は誰?

先ほどご紹介したように、保科正之は出生を明らかにされず、隠れて育てられたようなものです。

それには理由があり、彼の母親は、秀忠の正室でも側室でもなく、奥女中として大奥で働いていたお静という女性だったからです。

将軍秀忠は彼女に思いを寄せていましたが、彼の正室であるお江与の方が嫉妬深かったことから、武田信玄の次女の元で育てられたのです。ちなみに、彼のような庶子・私生児は将軍の「ご落胤(らくいん)」と言われました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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