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洗礼名は「ドン・シメオン」。キリシタン大名・黒田官兵衛の知られざる一面に迫る

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黒田孝高とバテレン追放令

黒田孝高の息子と弟が洗礼を受けた1587年(天正15年)、豊臣秀吉が突然「バテレン追放令」を発布しました。これは、キリスト教宣教と南蛮貿易に関する禁制文書でした。

黒田孝高はこれを受けてすぐに棄教しました。黒田孝高はその後仏門に入りました。

これだけ見ると、キリスト教への信仰は形式的なものだったと考えられがちですが、領地においては保護を続けたり、キリシタン大名であった小西行長の家臣が追放されると、召し抱えたと言われているため、キリスト教の教えを守ったと考えることの方が筋が通っているとも言えます。

黒田孝高の葬儀

黒田孝高は、彼の葬儀を見てもキリスト教を大切にしたことがわかります。例えば、葬儀はキリスト教式で行われていたり、遺言で教会などに資金を遺贈したりしています。

また、家臣の殉死を禁止するなど、命を大切にする教えも守っていることがわかります。

いかがでしたか?この記事が、黒田孝高の新たな一面を知るきっかけや、少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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