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おろかで無能な藩主。非人道的な政策で島原の乱を引き起こした暗君「松倉親子」の愚行【後編】

おろかで無能な藩主。非人道的な政策で島原の乱を引き起こした暗君「松倉親子」の愚行【後編】

松倉勝家の末路

島原の乱は4カ月続き、幕府側の総攻撃によって鎮圧されます。総攻撃と処刑によって籠城していた37000人全員が死亡。内通者1名のみが生き残るという悲惨な結末でした。幕府側も1万人程の死傷者がでたと言われています。

島原の乱鎮圧後、松倉勝家は島原の乱発生の原因の罪に問われます。勝家は、幕府のキリシタンに対する弾圧を守っただけと無罪を主張します。しかし、勝家の屋敷の桶から領民の死体がでてきたことが決め手となり斬首刑に処せられます。享年41歳。

暗君として非道の限りを尽くした松倉勝家は、江戸時代を通じて切腹すら許されず、罪人として斬首となったただ一人の大名という末路でした。

まとめ

今回は前後編で江戸時代最悪の暗君親子、松倉重政と松倉勝家について紹介しました。

領民やキリシタンに対する親子2代でのあまりにも非道なおこないは、人間としてあるまじきものでした。平和が260年続いた江戸時代に、こんな常軌を逸した暗君がいたことに驚くばかりです。

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