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自分の価値は自分で築け!武士道バイブル『葉隠』が教える、他人の評価にブレない生き方

自分の価値は自分で築け!武士道バイブル『葉隠』が教える、他人の評価にブレない生き方

皆さんは、占いを信じますか?……そう聞いてみると、皆さん意外と「信じない」という答えが多く帰ってきます。

「血液型とか星座とか、人間の運勢がそんな単純にパターン化できるはずがない」というのが理由のようですが、それなら人相学はどうかと聞いてみると、占いよりは皆さん信じているようです。

確かに顔(人相)というのは人それぞれ違いますから、「あなただけの運勢が、その顔に出ているよ」などと言われると、自分自身の本質を見透かされているようで、占いより影響を受けてしまうのも無理からぬところ。

そんな心情は往時の武士たちも同じだったらしく、今回は武士道のバイブルとして有名な『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、とある少年のエピソードを紹介したいと思います。

「臆病だなどと言ってみろ!」廣瀬傳左衛門の気魄

江戸時代初期、軍学者(北条流兵法の祖)として活躍していた北条安房守(ほうじょう あわのかみ。氏長)が弟子たちを集め、当時江戸で流行っていた人相見を呼んだ時のこと。

「顔つきを診れば、その人が勇敢か臆病か、本質がすぐに判ります」

人相見はそう言って、弟子たち一人ひとりの顔を診ていきました。弟子たちはみんな武家の子弟であり、自分が臆病だなどと診断されてしまっては、武士の沽券にかかわります。

(まったく、余興のつもりなのだろうが、お師匠様も余計な人を呼んでくれたものだ……)

そんな弟子たちの思いは百も承知で、人相見はこんなフォローを入れました。

「勇敢の診断だったからと慢心せず、奉公に励むことです。また臆病と診断されても腐ることなく、懸命に奉公することです。あくまで勇敢か臆病かは生まれつきであって、別に恥じることはありません」

だったら何故、あえて勇敢だの臆病だのと診断するのか。無駄に一喜一憂させられるだけではないか……下らぬ余興にうんざりしていたところ、廣瀬傳左衛門(ひろせ でんざゑもん)という12、3歳の少年が人相見の前に座ります。

「貴様……もし俺を臆病だなどと言ってみろ、一刀の下に斬り捨ててくれるわ!」

『葉隠』ではここで話が終わっているものの、声を荒げて眦(まなじり)を決し、刀の柄に手をかけながら迫る傳左衛門の形相を前に、流石の人相見も臆病とは診断できなかったことでしょう。

2ページ目 武士として正しかった、傳左衛門の行動

 

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