なるほど…『徒然草』より、入念すぎた準備の結果、青春を棒に振った残念な若者:2ページ目
これまた上達するとどんどん楽しくなってしまい、もっともっと究めようとする内に歳月は流れていきました。
「息子や……」
「はいはい、修行ですよね。修行……はぁ」
気づけばすっかり歳を食っており、また仏道に対する興味も雲散霧消。結局「乗馬と宴会芸の得意なおじさん」として生涯を終えたということです。
終わりに
或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事の後、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説経習ふべき隙なくて、年寄りにけり。(後略)
※『徒然草』第188段より
……まぁ、以上ご覧の通りです。
「説経法師になりたかったのに、気がついたら乗馬と宴会芸を学んでいる内に時間を浪費してしまった」という滑稽話ですが、これに似たようなことを現代でもあちこちで見かけませんか?
例えば俳優を目指しているのに「ハリウッドに行ったら英語が話せなければ通用しないから」などと演劇そっちのけで英会話教室に通うなど……これはちょっと極端ですが、俳優を目指しているなら何はなくとも演技力を磨くのが先決ではないでしょうか。
転ばぬ先の杖もいいですが、本業が中途半端ではその杖も活かせませんし、まずは本業に邁進した上で、必要に応じて補強して行った方が、限られた人生を有効に活かせるというものです。
とかく準備ばかりに時間がかかってなかなか目標を達成できない方は、このエピソードを頭の片隅に入れておくといいかも知れません。
※参考文献:
島内裕子 校訂『徒然草』ちくま学芸文庫、2010年4月