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せっかく手柄を立てたのに…幕末明治に活躍したイケメン武士・上田甚五右衛門のエピソード【下】

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エピローグ

その後、上田甚五右衛門は3年で赦免されて明治6年(1873年)に徳島へと帰りますが、既に廃藩置県(明治4・1871年)によって徳島藩はなくなっており、いよいよ武士の世が終わったことを実感させられます。

淡路島は当初、名東県(みょうどうけん。現:徳島県+淡路島)に編入されますが、明治9年(1876年)に改編があって名東県は解体、阿波国(現:徳島県)は高知県へ、淡路島は兵庫県へと移管されたのでした。

(※)途中、現在の香川県も編入・分離していますが、ここでは割愛。また、阿波国は明治13年(1880年)に高知県から分離して徳島県となります。

「……わしらの戦いは、一体何だったんじゃろうか……」

戊辰戦争では後れをとり、庚午事変では罰せられ、いずれも文字通り命がけで任務を遂行したと言うのに、実に報われないことこの上ありません。

まぁ、それでもお天道様に恥じ入るようなことは、何一つありませんでした。運不運は世の常ながら、尽くした人事は揺るぎなく自分の手で得た成果です。

「人間、それで充分じゃないか」

激動の幕末明治、こうして埋もれて行った志士たちの上に、新たな時代が築かれていったのでした。

【完】

※参考文献:
徳島県立文書館 編「特別企画展 庚午事変の群像」徳島県立文書館、2007年1月
庚午事変編集委員会 編『徳島市民双書3 庚午事変』徳島市中央公民館、1970年10月

 

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