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人望の厚さはピカイチ!素晴らしき補佐役、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長についてご紹介

人望の厚さはピカイチ!素晴らしき補佐役、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長についてご紹介

豊臣秀長の人物像

豊臣秀長は、とにかくその人望の厚さが有名。彼は若いころから穏やかな性格をしていたそうで、大所帯となった秀吉の家臣たちとも打ち解け、彼らから信頼されていました。

その温厚な性格で兄・秀吉をあらゆる面から細かくサポートし、秀吉の欠点を補いました。

竹中半兵衛、黒田官兵衛、千利休らともうまく連携しました。また、彼がおさめた大和は寺社も多くありましたが、大きなもめごとは起こらなかったといいます。彼自身が天下を取る、ということはありませんでしたが、人望だけ見れば兄・秀吉以上だといわれることもあります。

ちなみに、九州の大名であった大友宗麟が秀吉に助けを求めて京都へ来た際、秀吉は手厚くもてなし、そこで「内々の儀は宗易(千利休)、公儀の事は宰相(秀長)存じ候、いよいよ申し談ずべし」と述べたそうです(『大友家文書録』による)。

当時すでに豊臣政権の大名統制の役割を、秀長が担っていたことがわかります。

いかがでしたか?今回は、豊臣秀吉の弟である、豊臣秀長についてご紹介しました。この記事が、みなさんが少しでも戦国時代や日本の歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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