前田慶次、長坂信政!戦国武将の憧れ・朱槍を許された猛将たちのエピソードを紹介:2ページ目
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返り血びっしり!生涯で93の首級を上げた長坂信政
他にも朱槍の持ち主として知られているのが、血鑓九郎(ちやりくろう)の二つ名を与えられた長坂信政(ながさか のぶまさ)。
徳川家康(とくがわ いえやす)の祖父・松平清康(まつだいら きよやす)の代から3代にわたって仕えた忠臣で、数々の戦さにおいて槍が血に濡れていないところがなかったほどの活躍から、朱槍を許されたということです。
やはり武功一等ともなれば当然多くの敵を倒してその返り血を浴びており、槍も朱色に染まってしまうのかも知れません。
そんな信政が生涯で上げた首級は93とも言われ、その武功を伝えるため正月には93個の鏡餅を「首餅」として祝い、その子孫も代々「血鑓九郎」の二つ名と朱槍を受け継ぎました。
血鑓九郎と似た音の「茶利(ちゃり)九郎」とも呼ばれた(書かれた)そうですが、何だかチャリ(自転車、小銭)みたいでちょっと軽い響きになりますね。茶の湯にも嗜みがあったのでしょうか。
終わりに
以上、朱槍で有名な2人の戦国武将を紹介しましたが、更に調べればまだ他にもいるかも知れません。
(あるいは、武功一等の者に朱槍を許す制度があまり普及していなかった可能性もあります)
武士であれば誰もが憧れたであろう武功一等の証ですが、いざ許されて持ってみると、当家第一の槍に恥じぬ働きを求められ、また戦さ場では功名を狙う敵の標的ともなったことから、そのプレッシャーはより重く感じられたことでしょう。
※参考文献:
黒川眞道 編『越後史集 天 国史研究會蔵版』国史研究會、1916年5月
橋本玉蘭斎『徳川東国武勇伝』平凡社、2006年6月
一個人編集部『戦国武将の知略と生き様』KKベストセラーズ、2014年4月
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