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滅ぼされたライバルの痕跡?古代天皇「欠史八代」がしばしば都を移していた理由を考察

滅ぼされたライバルの痕跡?古代天皇「欠史八代」がしばしば都を移していた理由を考察

ここで逐一考察していくと冗長になってしまうため割愛しますが、各天皇陛下の和名も紹介しておきます。

第2代・綏靖天皇…神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)
第3代:安寧天皇…師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)
第4代:懿徳天皇…大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)
第5代:孝昭天皇…御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)
第6代:孝安天皇…大倭帯日子国押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)
第7代:孝霊天皇…大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)
第8代:孝元天皇…大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)
第9代:開化天皇…若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと)
※和名は『古事記』による。

共通する語句を除いていくと、各代の個性が見えてくるかも知れませんね。

終わりに

【欠史八代の天皇陛下が、代ごとに都を移した理由】
仮説その1:その代の天皇陛下が、ライバルを滅ぼした記念にその本拠地を都とした?
仮説その2:滅ぼされたライバルが、それぞれ天皇陛下のモデルになった?

……史料による裏づけがないため、あくまで仮説の域を出ないものの、かつて古代日本で繰り広げられていたかも知れない歴史ドラマの仮説を立ててみると、よりいっそう興味が湧いて楽しいものです。

※参考文献:
井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』中公文庫、1973年10月
田中卓『私の古代史像-付総目次-』国書刊行会、1998年8月
鳥越憲三郎『神々と天皇の間』朝日文庫、1987年11月

 

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