いらんこと言うな!大河ドラマ「鎌倉殿の13人」随一の悪女?宮沢りえ演じる「牧の方」のエピソード:2ページ目
3.畠山重忠の謀殺
息子の政範がダメなら、今度は娘婿の平賀朝雅(ひらが ともまさ)を鎌倉将軍に推そうと働きかけます。
朝雅は源氏の家系で頼朝公の猶子ともなっていたので、将軍職を継ぐ資格は十分ですが、実の子である源頼家(よりいえ。第2代将軍)、源実朝(さねとも。後に第3代将軍)がいたため、その順位は低めです。
また、貴族かぶれの朝雅は御家人たちから人望に乏しく、畠山重保(はたけやま しげやす)に批判されたことを怨んで、その父・畠山重忠(しげただ)ともども謀叛人の濡れ衣を着せて攻め滅ぼしてしまいました。
誰よりも忠義に篤く、鎌倉武士の鑑と誰もが称賛していた畠山重忠を討ったことで北条氏に批判が集まり、執権の座を追われかねない事態に陥った時政は、起死回生の一手を図ります。
4.政権転覆未遂(牧氏事件)
朝雅さえ将軍になってしまえば、その後ろ盾となった我らの地位は安泰……そう思ったのか、時政と牧の方は将軍・実朝を隠居させよう(拒否すれば殺害しよう)としたものの、義時や政子はもちろん、御家人たちも全員反対。
完全に孤立してしまった時政と牧の方は出家させられ、鎌倉から伊豆国へと追放されてしまったのでした。
時政は政界に復帰することなく建保3年(1215年)に現地で病死、牧の方は娘婿の藤原国通(ふじわらの くにみち。朝雅の未亡人と結婚)を頼って上洛、京都で余生を過ごしたということです。
その後、嘉禄3年(1227年)に時政の13回忌法要を行っているものの、国通の財力を恃んで贅沢三昧に暮らしていたようで、心ある人々はこれを非難したと言いますが、それを気にするような牧の方でもなかったでしょう。
終わりに
北条時政を惑わせて権力奪取に野心を燃やし、さんざん御家人たちを引っ掻き回した挙げ句、計画が潰えたら京都へ移住して贅沢な余生を過ごした牧の方。
絵に描いたような悪女ぶりでしたが、鎌倉幕府における権力抗争を象徴する一人として歴史に異彩を放っており、これが三谷脚本でどのように描かれるのか、今から楽しみですね!
※参考文献:
- 石井進 編『もののふの都鎌倉と北条氏』新人物往来社、1999年9月
- 上横手雅敬 監修『古代・中世の政治と文化』、思文閣出版、1994年4月
- 細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月
- 『角川日本地名大辞典 22 静岡県』角川書店、1982年10月