え!そうなの!?100円ショップのルーツは江戸時代に流行した「十九文屋」だった?:2ページ目
十九文屋が登場した時代背景
1700年代に十九文屋が流行した背景には「享保の改革」の存在が挙げられます。享保の改革は、江戸幕府第8代将軍 徳川吉宗が行った政治改革で、寛政の改革や天保の改革と並び「江戸時代の三大改革」に数えられています。
享保の改革は質素倹約を推し進める改革だったため、民衆たちの財布の紐は固くなり景気が落ち込んでしまいました。そのような背景の元に生まれたのが、均一価格でお得に商品が買える十九文屋だったのです。
「均一価格でお得に商品が買える」という感覚も、現在の100円ショップと同じですね。
なお、景気の回復とともに十九文屋の流行も廃れていきましたが、1800年代初頭になると再び流行、露店は大いに賑わっていたと言われています。
四文屋もあった
江戸時代には十九文屋だけでなく「四文屋(しもんや)」と呼ばれる均一ショップもありました。その名が示す通り、商品が四文均一で売られていたお店です。なお、四文は現在の金額に換算すると80円くらいと考えられています。
当時は「四文銭」というコインがあったので、まさにワンコインで商品が1つ買える均一ショップです。そういった意味では100円玉で商品が買える現代の100円ショップにかなり近いですね(消費税があるので100円玉だけでは買えませんけど・・・)。
四文屋では主にお菓子やおでん、煮魚などの飲食物を販売していたと言われています。
ちなみに、かつては団子1串に5つの団子が刺さっていて五文で販売されるのが主流でしたが、四文銭が流行したために1串の4つの団子になったというエピソードが残っています。
均一ショップは今も昔も大人気
江戸時代の100円ショップとも言える十九文屋。現在の100円ショップを多くの人が利用するのと同じく、江戸時代でも十九文屋は大繁盛しました。「お得に商品を買い求めたい」という欲求は、今も昔も全く変わらないんですね。
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