尊皇攘夷の志半ばに…誤解が生んだ幕末4志士の悲劇「四ツ塚様」事件【上】:2ページ目
尊王攘夷の志を侮辱され……
さて、4人は順調に旅路を進み、勝田郡百々村(現:岡山県久米郡美咲町)までやってきます。
「この先にある池上屋(いけがみや)は昔ちょっとしたご縁があるのだ」
井原はかつて当家の若衆らに剣術を教えたことがあり、主人の造り酒屋・池上屋文左衛門(ぶんざゑもん)はそのことを覚えていてくれるだろう……そう期待して資金援助を願い出た4人でしたが、文左衛門の態度は冷淡なものでした。
「はっ、尊皇護国の志士などと、乞食侍が御託を並べおって……カネを強請(ゆす)りに来たなら、素直にそう言えばまだ可愛げがあるものを」
資金援助を断るだけなら仕方ないとしても、尊皇攘夷の志を嘲り笑うとは無礼千万……かつての友好を踏みにじられた悲しさもあり、腹を立てた4名はすかさず抜刀。
「おのれ、下手に出ておれば……許せぬ!」
「ひえぇっ、助けてくれぇ……っ!」
文左衛門は煌めく白刃を見るなり、脱兎のごとく店を飛び出してしまいました。
「お侍様がた、主人がご無礼を働きましたこと、お詫び申し上げまする……」
「尊皇護国のため、どうかこちらをお役立て下され……」
店の奥から血相を変えた文左衛門の妻と番頭が金子(きんす)の包みを差し出してきましたが、これを受け取るかどうか、少し迷ってしまいます。
「いくら侮辱されたとは言え、刀を抜いて出させた金品を受け取っては、強盗と勘違いされてしまう。ここは諦めて、他を当たるべきではなかろうか」
「しかし、今は危急存亡の秋(とき)だ。奥方と番頭にはきちんと礼節を尽くした上で、ありがたく使わせていただくべきと考えるが、いかが」
「……うーむ……」
4人は相談の上、文左衛門の妻と番頭にお礼と謝罪を述べながら金子の包みを受け取りました。
「ご主人には侮辱を受けてしまったため、あのような仕儀と相成ってしまったが、決して我らは強請でも強盗でもなく、長州藩の命を受けて参った者。どうか、お騒がせしてしまったことを、許してほしい。この金子は、必ず尊皇護国のために使わせていただく」
「は……はい……」
かくして金子の包みを受け取り、池上屋を辞去した4人でしたが、これを黙って見逃す文左衛門ではありませんでした。
※参考文献:
岡山県 編『岡山県人物伝』岡山県、1911年2月
田中光顕『維新風雲回顧録』大日本雄弁会講談社、1928年3月