多数の死者を出した安政の大地震勃発! 当時世界最大級だった都市・江戸は一瞬で荒廃する:2ページ目
2ページ目: 1 2
安政の大地震での死者は一万人以上に上る
町方における調査では、死者の数は4741人と発表されています。しかしこれはほんの一部のようです。
実際は支配違い(管轄外)の寺社の領地や武家屋敷を含めると死者は一万人以上に上りました。倒壊家屋は一万四千戸を超え、甚大な被害があったことを窺わせます。
地震直後には、判明しているだけでも三十箇所以上から火が出ています。そしてこの火災は、揺れの強いところとほぼ対応していました。
不幸中の幸いか、当日は小雨で風も強くありませんでした。
翌日の午前中には鎮火したようですが、それでも1、5キロ平方メートルを焼いています。
安政の大地震後、災害関連による死者を防ぐための施策
幕府はこれらの被害を受け、死傷者を最小限にすべく緊急の対応に出ています。現代でいう災害関連死を防ぐための施策でした。
震災初日の段階から情報収集を開始。2日目以降からは江戸市中取締り(巡視)を実施して治安維持に努めています。災害時に犯罪が横行するのは昔も現在も変わりないようです。
加えて感染症対策も取られていました。震災で急増した死者の埋葬を無料とし、遺体からの感染症の伝染を防ぐ措置が講じられています。
さらに被災者の飢えを防ぐため、食糧である米の配給も実施。物価抑制のために公定上限価格の設定を行い、物資の調達を確実なものにしています。
加えて災害における義捐金の報奨を行うなど、幕府は必要経費の捻出にも苦心していました。
参考文献
ページ: 1 2