刀は武士の魂!映えや流行よりも実戦重視を訴えた武士道バイブル『葉隠』の教え:2ページ目
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一方の「柳生流に抜き出してさゝせ……」とは恐らく閂差し(かんぬきざし)のことで、刀がおおむね地面と平行するよう帯に固定して差します(主観ながら、刀が垂れ下がって見える落し差しよりもカッコいいです)。
敵を抜き打ち(抜刀と同時に攻撃)するのに適した差し方とのことですが、抜き打ち(柳生流)の心得もない者が形ばかり真似をしても、突き出した柄を敵にとられ、刀を奪われてしまうかも知れません。
(ましてや見栄えだけで刀の差し方を決めてしまうような考えなしの者であれば、なおさら隙だらけだったことでしょう)
片や落し差しは帯の一点だけで支えているため、状況に応じて抜刀時の鞘(さや)角度を変えることが可能なため(水平に抜かないと鞘の内側は傷つきますが)、常に臨戦態勢が求められた実戦向きと言えます。
柳生新陰流は慶長6年(1601年)に時の当主・柳生宗矩(やぎゅう むねのり)が徳川秀忠(とくがわ ひでただ。後に江戸幕府の第2代将軍)の兵法指南役となったことから流行したようです。
しかし刀はあくまで敵を倒して身を守り、主君へご奉公するために差すものですから、見映え以上に実用性が求められるのは言うまでもなく、刀の差し方ひとつとっても気を配ることが求められました。
安易な流行へ便乗しようとする若者たちに苦言を呈し、人生の道理や智慧を授けるのは老人の役目……作者(口述者)の山本常朝(やまもと じょうちょう)も、きっとそんな思いだったことでしょう。
次回は、「過ちに対する意見を聞き入れてもらうには?」武士道のバイブル『葉隠』が示した人間関係のコツを紹介します。
過ちに対する意見を聞き入れてもらうには?武士道のバイブル『葉隠』が示した人間関係のコツ
古来「良言、耳に逆らう」などと言うとおり、過ちに対する諫言や意見というものは、言われる側にしてみれば自分を否定されたような気がして受け入れにくいのが人情です。一方、言う側にしても相手が受け入れ…
※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、2011年1月
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