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織田信長の筆頭家老から転落。追放され高野山へ逃れた戦国武将・佐久間信盛の栄枯

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織田家追放から晩年

1580年。信盛は織田家内で最大勢力を誇る家臣団を統括していたが、信長から「19ヶ条の折檻状」を突きつけられ織田家を追放された。

当時の信盛は、信長に敵対する石山本願寺を駆逐するための対本願寺司令官の地位にあったが、積極的な攻勢を見せずに戦局は膠着していた。信長の信盛に対する不満は対本願寺対策が決定打となった。

この折檻状の中で、信長は19に及ぶ信盛に対する不満点を書き綴っている。

信盛は織田家を追われ少数の家臣とともに高野山に身を寄せた。その後、紀伊半島の熊野に降ったとされるが定かではない。

追放から2年後の1582年に死去。享年55。約30年間に渡って織田家筆頭家老として要職にあった信盛だったが、最晩年は一人であったという。

 

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