京都を代表する神社の1つ「平安神宮」実はかなり新しい神社だった!?:2ページ目
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社殿は平安京の正庁を約8分の5で再現!
平安神宮は、最初は実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門を建てる計画となっていたほど、本格的に「京の都の再現」を目指したものでした。
しかしそれは、残念ながら実現はしませんでした。理由は用地買収の失敗で、このため現在の平安神宮の所在地となっている京都府京都市左京区岡崎に変更となります。
華やかな朱色を基調とした大極殿(だいごくでん・外拝殿)・応天門(おうてんもん・神門)・蒼龍楼(そうりゅうろう)・白虎楼(びゃっころう)・歩廊・龍尾壇(りゅうびだん)などの主要な建物は、創建当時に造られたもの。
その後1940(昭和15)年に孝明天皇がご祭神に加えられた際、本殿・祝詞殿・内拝殿・翼舎・神楽殿(かぐらでん・儀式殿)・額殿(がくでん)・内外歩廊斎館・社務所などが増改築されました。
1976年(昭和51)年1月6日に発生した「平安神宮放火事件」では本殿・内拝殿などが焼失しましたが、ご神体と大極殿(外拝殿)は延焼を免れました。
この時、まだ新しい神社でこれらの建物が文化財指定を受けていなかった平安神宮は「再建・復興のための国からの補助金が見込めない」という大ピンチに見舞われたものの、全国からの募金によって再建されます。
他の京都の寺社と比べて歴史は浅くとも、既に平安神宮が人々から広く愛される存在となっていたことが伺えるエピソードですね。
現在では大極殿で国の主要な儀式が行われるようになり、重要文化財に指定されるなど、名実ともに「京都を代表する神社」となっています。
参考
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