ふんどし姿で山を駆け回り”天狗”と呼ばれた天才研究者「南方熊楠」のキャラメル箱の使い方:2ページ目
熊楠のヤバイ行動
熊楠は少年時代、自由自在に「吐く」ことができたため、ケンカ相手に吐しゃ物を吐きかけていたそうです。
そのため、ケンカには負けたことがなく、あだ名は「反芻(はんすう)」だったとか。
※「反芻」… 一度は飲みこんだ食べ物を再び口の中に戻して噛み、飲みこむこと。
このエピソードだけでも十分に激ヤバですが、まだまだ!こんなものではありません。
山の中で採集をするとき、汗かきだった熊楠は、ふんどし姿で山を駆け巡って農家の娘さんたちを驚かせ「てんぎゃん(天狗)」と呼ばれたという話は有名です。
また、6月から9月半ばまでは一糸まとわぬ姿で自宅で過ごして奉公人を驚かせたり、自分の提案したゲームで何度も指名されて泥酔し、全裸になって踊りながら廊下で寝てしまって校長にひどく怒られたりしたこともあったのだとか。
結婚後のエピソードとしては、お風呂から出てもカラダも拭かず浴衣も着ない熊楠に、妻である「松枝(まつえ)」は、ゴザを敷き詰めたと言う話もあります。
ほかにも多くの逸話があるものの、ここまで裸のエピソードが多い歴史偉人も珍しいのではないでしょうか?
そして、こんな人が身近にいたら「ヤバイ行動」をしているとしか思えませんよね…
熊楠のキャラメル箱の使い方
1929年6月、昭和天皇が和歌山県にある神島(かしま)を訪問していました。
※1929年といえば、アメリカの株価が大暴落して世界恐慌のキッカケになった年でもありますが、株価が暴落しはじめたのは9月頃のことです。
このとき、皇太子の頃から粘菌に感心のあった陛下より事前に要望を受けていた熊楠は、粘菌や海中生物について御前講義をおこなっています。
そして、この講義のあとに熊楠が陛下に渡したのが、なんとキャラメルのボール箱だったのです。
中身は「110種類にもおよぶ粘菌の標本」だったそうですが、陛下への献上をする容器にキャラメル箱を選ぶとは、なかなかの奇人と言えるのではないでしょうか?
けれど、キャラメル箱をプレゼント箱として使うぐらい奇抜な発想がなければ、粘菌や小動物を採集し、調査するということには結びつかなかったかもしれません。
また、昭和天皇が詠んだ数少ない個人名の入った歌のひとつに熊楠をしのんだ歌があることからも、インパクトある天才であったことがうかがえます。
「雨にけぶる神島を見て、紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
※引用:和歌山県田辺市 田辺観光協会「田辺探訪」より
隣の奇人は天才かもしれない
今回紹介した熊楠のように、奇抜でインパクトのある行動を起こしつつも、すばらしい功績を残した天才はたくさんいます。
あなたの周りにいる「変わっている人」も、もしかしたら後世に功績を残すような「天才のたまご」かもしれません。