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軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【中編】

軟禁され罪人として崩御。天狗となって朝廷を呪った「崇徳天皇」の恨み【中編】:2ページ目

崇徳上皇と後白河天皇の対立

1156年。鳥羽法皇が崩御。崇徳上皇は病床の鳥羽法皇を見舞ったが、本人に面会を拒否され会うことができなかったという。

前年に即位したばかりの後白河天皇は政治基盤が固まっておらず、後ろ盾となっていた鳥羽法皇の死によって崇徳上皇の復権を恐れた。これ以後、後白河天皇は崇徳上皇を政治の中枢から追い払うための行動を開始する。

亡き近衛天皇の生母であり鳥羽法皇の皇后・得子や、崇徳上皇に聖子を嫁がせたが、子が無かったことで関係がこじれた摂関家の関白・藤原忠通らは後白河天皇に加担し、反崇徳勢力となる。後白河天皇一派は崇徳上皇のクーデター計画を捏造し風聴した。

後白河天皇の勅命によって武士が続々と動員される中、追い詰められた崇徳上皇は、摂関家の後継者問題で兄の忠通と対立していた藤原頼長と組み、半ば強制的に挙兵する。

こうして崇徳上皇派と後白河天皇派の武力衝突は避けられない事態となった。

【後編】へ続く

 

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