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幕末の京都を震撼させた「人斬り」尊王攘夷派の志士達が起こした要人暗殺テロ【後編】

幕末の京都を震撼させた「人斬り」尊王攘夷派の志士達が起こした要人暗殺テロ【後編】

赤松小三郎暗殺事件

犠牲者:赤松小三郎
暗殺犯:中村半次郎・田代五郎左衛門
日時・場所:1867年9月30日、京都東洞院通り

兵学者であり思想家であった赤松小三郎は信濃国上田藩に生まれる。若くして江戸で学問を学び、勝海舟に従い長崎で測量や兵学、航海術の知識を得た。

上田藩で藩兵の訓練に従事した後、京都へ出た赤松は私塾を開き、薩摩藩の屋敷で西洋の兵法を教えたという。

対立を深める幕府と薩摩藩との間を取り持ち、国内融和に尽力する立場を取った赤松。しかし、当時の薩摩藩は武力による倒幕を目指しており、幕薩融和を唱える赤松の存在は次第に邪魔となった。

上田藩による召還命令によって帰国する直前の1867年9月30日。京都の東洞院通りで刺客に襲われ殺害される。暗殺犯の正体は長らく不明であったが、後に実行犯は薩摩藩士の中村半次郎であることが明らかとなった。

1868年。日本の元号は明治となる。近代化を果たした明治下においても要人の暗殺は続き、新政府樹立に尽力した中心人物の何名かは命を落としている。

 

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