徳川家康に天下を取らせた戦国武将・藤堂高虎のフォロワーシップ【後編】:2ページ目
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高虎のお願い
江戸幕府の支配も盤石になりつつあった頃、高虎が家康の下を訪れて言いました。
「家康さま、このたびは私の死んだ後のことについてお願いがございます」
「申してみよ(後継者をよろしく頼む的な話かな?)」
「私が死んだら、藤堂家を現在の伊勢からどこか適当なところに移していただきたいのです」
「……え、移さないじゃなくて、移すの!?」
「はい。伊勢は江戸幕府にとって重要な地。愚息は未熟者ゆえ、失政でもあれば取り返しがつきません。であれば、もっと相応しい方にお任せするのが天下のためです」
「たとえご子息が未熟でも、藤堂家にはそなたが育て上げた家臣たちがいるではないか。その者たちがしっかりサポートすれば問題なかろう。そなたの死後も、伊勢は藤堂に任せる」
かくして高虎の申し出は却下されたわけですが、その真意はどこにあったのか。
おそらく高虎は、家康のリアクションは予想していたのだと思います。そして家康の側も、高虎が何を言ってほしいかを予想していた。
つまり暗黙裡に書き上げた筋書きで、領地の支配権について言質を取る/与えるという芝居を打ったのです。
もちろん、本気で国替えを望んだ可能性が全くないわけではありません。本気で江戸幕府のためを思ったとか、要地で失政をして咎められるくらいなら無難な地で生き延びる確率を上げた方が良いという判断です。
いずれにせよ高虎が言質を取ったことも幸いし、藤堂家は廃藩置県を迎えるまでの250年以上、伊勢の地で栄え続けました。
藤堂高虎という人物は、フォロワーシップを発揮する一方で、しっかりと自分の利益も確保するしたたかさを持ち合わせていたと言えるのではないでしょうか。
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