主君を次々と変えた変節漢?身長190cmを超す規格外の巨漢武将・藤堂高虎【前編】:3ページ目
三人目・良い上司を見つけたと思ったら
三人目の主君は磯野員昌(いそのかずまさ)。
阿閉と同じく浅井から織田へ寝返った武将の一人で、浅井家では勇将として知られていた人物でした。
磯野は高虎の実力を認めて80石(80石の米が取れる領地を与えたという意味。1石は大人1人が1年間で消費する米の量)で召し抱えますが、磯野自身がいまいち精彩を欠き、織田家での立場を失い没落していきます。
そして最終的に、織田信長の甥を養子に取らされるという形で、磯野家は織田家に乗っ取られてしまいます。高虎も、そのまま次の主君に仕えることになったのです。
なお、高虎は後に出世して大名になった後、磯野の一族を家臣として召し抱え、面倒を見ています。
四人目・活躍は認めてもらえたものの
新たに主君となった織田信澄(のぶずみ)の下で、高虎はなんだかんだで活躍をします。そしてその活躍を認められ、親衛隊に抜擢されることになるのです。
「親衛隊になった以上、馬などもしっかりと用意せねば……あれ?」
しかし、領地の追加はありませんでした。
当時の武士は主君から土地を与えられ、そこから得た収入で武器や防具、馬などを自分で用意するのが原則でした。親衛隊になれば必要経費も増えます。が、収入は据え置かれてしまったということです。
「殿、これでは必要経費も賄えません」
直談判するも、信澄からはついに良い返事を得ることができず。見切りをつけた高虎は、信澄の下を去ることにしたのです。
こんな感じで信澄とはイマイチな別れ方をした高虎ですが、本能寺の変によって生じた混乱の中で信澄が命を落とすと、その妻と幼い息子を保護しています。
さらに後年、信澄の息子は豊臣家に仕えて大坂の陣で徳川と敵対します。豊臣家が滅びると囚われの身となりますが、高虎のとりなしによって命を助けられ、最終的には江戸幕府の旗本となって天寿を全うすることができました。