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戦国時代にアフリカから日本へ? 織田信長に仕えた黒人従者「弥助」とは【後編】

戦国時代にアフリカから日本へ? 織田信長に仕えた黒人従者「弥助」とは【後編】

それから

弥助は「南蛮寺(イエズス会のよって京都に建てられた教会)」に送られたことはわかっているが、その後の足取りを記した資料は発見されていない。

ルイス・フロイスが残した歴史書「日本史」には、本能寺の変から二年後の1584年に肥前国(現在の佐賀県、長崎県周辺)で起こった「沖田畷(おきたなわて)の戦い」に関する記載の中で、黒人に対する言及がなされている。

九州の戦国大名龍造寺氏と有馬・島津氏連合軍が争ったこの合戦で、龍造寺軍を迎え撃った有馬軍の中に黒人がいたという。

また、1605年頃に描かれた「相撲遊楽図屏風」には、黒人と思われる男が相撲をとる絵が残っている。この時代に関する他地域の別資料にも黒人と思わしき人物の記載は散見できる。

当時の日本には、弥助と同様に従者や奴隷として来日した黒人は少なくなかったという。上述の資料や絵巻が弥助である確証はなく、その後どのような生涯を送ったのか知る術はない。

しかし、弥助のように武士の身分を与えられ、戦場に立つという経験をした外国人は少なかったのではないだろうか。

 

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