戦国時代、いかなる権力にも屈せず火炎の中に没した気骨の禅僧・快川紹喜の生涯 【その2】:4ページ目
信長に士気の緩みをつかれ龍興は降伏
こうした快川の努力も時流には逆らえませんでした。当初は、甲斐美濃同盟が功を奏し、信長の侵攻を許さなかった龍興も、束の間の平和に士気が緩んでしまったのです。
その動きを見つつ、信長は着々と美濃侵攻を進めます。美濃攻めの最前線として小牧山城に居城を移すと、美濃方の重要拠点犬山城を陥落。
あわせて調略も進め、1567(永禄10)年、龍興の宿老である美濃三人衆を内応させます。そのうえで、稲葉山城を囲み城下町に火を放ったのです。
万策尽きた龍興はついに降伏。木曽川を船で下り、伊勢長嶋へ落ち延びていきました。
【その3】に続く……